世界中から多様な食品が届けられる現在、ますます自分の口に入るものがどのようなルーツを辿ったものなのか、消費者の関心が高まってきているようです。
例えぱ今、私たち道民が口にする牛乳はほとんどが道産の牛乳ですが、その牛乳の質を大きく左右する牛のエサについては輸入飼料が多く使用されていることをご存知でしょうか?町村農場創業者の町村敬貴は、健康な牛は健康な草で育つという考えのもと、牧草や飼料用作物の自給に努めてきました。
町村農場の歴史は土との戦いと言っても過言ではありません。昭和初期に江別の対雁(ついしかり)地区に移転をした時も、その土地はひどく痩せこけた土壌 だったのです。土が健康でなければ、良い牧草は育ちません。敬貴は、試行錯誤を繰り返し、長年かけて土壌改良に挑みました。
水はけが悪く、極端に酸性の強いその土地は「農業は無理」と言われたほどの厳しい状態敬貴はそれでも一歩も引かず、アメリカでの経験を活かして科学的方法によって解決を試みました。 排水のために、野幌のレンガ工場に土管を作ってもらい10年かけて排水溝を作りました。そして、酸性の土を変えるために、江別の製紙工場から石灰の塊を譲り受け、自ら石 灰の粉砕施設を作り石灰を畑にまき、5 、6 年かけて健康な土に変えていきました。
よい牛を育てるためには、ここまでやらなけれぱならないのか?と思ってしまうほどに、敬貰の取組みは多岐に渡り、そしてそのどれもが画期的なものでした。それらの取組みは、後の北海道農業全般に多大な影響を与えてきたのです。
土づくり、草づくりは、現在の町村農場にとっても最も大切にしていることの一つ。土の栄養分が偏ることのないように、メンテナンスは欠かすことはありません。百年後も豊饒な大地と栄養たっぷりの牧草がこの地に育つように、そして 健康な牛が元気に育つように、今日も試行錯誤は続いています。